人は誰しも、夢とまどろみの間で物語を観る。それも言葉では容易に表現できぬほどの超大作だ。時に感動あり、恐怖あり、笑いありのそれら物語は、たった一人の観覧者が席を立つと同時に泡沫と消え、まるで最初から何もなかったかのように幕を下ろす。唯一残される痕跡といえば、せいぜい早鐘のように撞き鳴らされる鼓動くらいである。
……
……だから?
………『だから』は文字を入れ替えると『からだ』になる。
…なんか、イヤラシイよね。
……何が?
………『何が』の『何』って、カタカナにして『ナニ』にすると、なんかイヤラシイよね。カタカナにするだけで発音まで変わったりするし、しなかったりするもんね!
………………………………
………………………………
………………………………
………………………………
……うふふ。うひひひ。
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………………………………
………………………………
…………おっぱい…………
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………………………………
………………………………
ZZZZZZZzzzzzzzzzzzzzzzz
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| 名前 | ノベル原西 |
|---|---|
| 性別 | ♂ |
| 出身 | 茅ヶ崎 |
| 趣味 | 早朝サーフィン |
| 特技 | 空手 |
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2006年12月
2006年12月02日 19:44 夜明け前 2006
2006年12月03日 22:53 起床 2006
…私がどんなに苦しみ、悲しみ、絶望のズンドコに心沈めていても、どっこい朝は来るものだ。
もし仮に私がイチローや松井ほどのバッティング技術をもっていたなら、朝日を夜方向に打ち返してやるのだが、残念ながらそういった天分には恵まれていない。
「…ハメ。おい、起きろハメ!」
腹いせに、私が横たわるベッドとほぼ同じ大きさの檻で眠る、お隣の『ハメ太郎』を叩き起こしてやろうと思ったが、いくら大声を出してもこの『超大型小動物』は薄目すら開けない。
…………………………
…………………………
…………………………
…こういう何気ない混沌とした気分と時間の狭間で、人は実に下らない妄想をする。
この先自分はどうなるのだろう…とか。主に不安や畏怖の対象と向き合うのだ。
…………………………
…………………………
…………………………
…………………………
(…おっぱい)
…ふと、シリアスな妄想の中に浮かび上がったひとつの言葉。
だが、この言葉が強い。ものすごく強い。
あっという間にシリアスな妄想シーンを、言葉(おっぱい)をビジュアル化したそれへと書き換えてゆく。書き換えられたビジュアルシーンは、静止画からやがて動画へ。
そして最後には一張りの小立派なテントが張り上がる。まるでボーイスカウトだ。
美しい脳内変換。そして逞しい肉体連携!
(…人って素晴らしい)
私は慣れきった手つきで箱からティッシュをサッと抜き取った。
「ブフーー」と一息、ハメ太郎のあくびが漏れた…。
2006年12月03日 23:57 ハメ太郎さんは世界平和を願っています 2006
世界で一番美しく、かわいらしいラビット界のスーパー萌えラビット(ネズミ界でいうところのミッキーにあたる地位)、『ハメ太郎』さん(推定12歳)は、いつも世界平和のことを考えています。

ハメ太郎さんも考えているのですから、皆様も考えてみてください。
2006年12月04日 15:56 出勤 2006
…先日から始まった道路舗装工事による騒音・振動は、想像以上に私の寝起きを乱してくれている。
――ガリガリッ!ガガガッ!ドドドッ!ズドドドドドド!…キューーン…――
最後の「キューーン」という音と共にドリルは一旦停止し、辺りが静寂に包まれ、私に僅かな安堵感をあたえる。…が、ものの数秒後に再び
――ガリガリッ!ガガガッ!ドドドッ!ズドドドドドド!…キューーン…――
この理不尽な飴と鞭がなんとも癇に障るのだが、それ以上に睡眠を妨げて憚らないのが大型重機の作動による振動である。振動というより、ほとんど地震。
およそ『震度4』ほどの激しい揺れが、睡眠中に最低3回は訪れるようになると、近ごろ頻発している『震度1〜3』の本物の地震などには気付きもしなくなる。
これでもし本当に大型の地震が起こり、私が(どうせ重機が…)と思い込んで逃げ遅れてしまったならば、政府はどのように対処するつもりだろうか。そもそも昨今の日本政府は…@@@@で@@@が…@@@!@だから@@安*倍!@@@@@…うんたらかんたらで…うんたらかんたら…
…まあ、それらは地震後生きていたらの話だが。
…騒音の中、私はベッドから起き上がると、部屋を見渡し『畜生』の姿が見当らないことに気が付く。
どうやら自力で部屋を脱出し、どこかへ旅に出たようだ。
――そして――
私は世界中のビジネスマン達が毎朝そうしているように、変身ベルトを装着して華麗なポーズを決めると、瞬く間にスーツ姿へと変身を遂げた。
…うむ、今日も(あぁ、きっと子供の頃だけ男前だったんだろうなぁ…)と、万人に意識されるいい男だ。
私は何か色々な玩具がパンパンに詰まった総重量7kgのビジネスバッグを手にすると、いざ戦場(外界)へと躍り出た!
…戦場には、『ハメ太郎』がいた。
起床時に姿が見えないと思ってはいたが、どうやら『彼』は庭に広がる『ハメ太郎専用菜園(総工費8,400円)』で優雅に朝食を摂っていたようだ。
すぐ横(庭の生垣の山茶花を隔てて2〜3メートルくらい)では相変わらず政府の尖兵が
――ガリガリッ!ガガガッ!ドドドッ!ズドドドドドド!…キューーン…――
――ガリガリッ!ガガガッ!ドドドッ!ズドドドドドド!…キューーン…――
と、爆音を轟かせているというのに、獣ときたらまるでテレビの向こうで報じられる凶悪事件を、何の感慨もなく屁こきながらぼぅっと眺めている賢者の如く振る舞いで、オート麦にしがみついて実を貪り喰っている。
ウサギとしては骨格そのものが規格外の大きさ(中型犬くらい)なため、野良ネコや野良イタチはもちろんのこと、近所の飼い犬達にまで恐れられるハメ太郎は、外界に敵らしい敵もおらず、また、近所の小学校で6年間も教室飼いされていたという兎生経験からくる胆力も手伝って、現在では傲岸不遜を絵に描いたような性格となっている。
…私は暫しその異様な庭の光景を楽しんでいたが、出社時間の関係もあり、やむなく自宅を後に。
もちろんハメ太郎は私が玄関先に立っていた時も、バイクに乗って自宅を離れる際にも、一瞥もくれなかった。
……電車が揺れる。私も揺れる。
車内は比較的混雑しており、人と人の間が人一人分という、まさに人よ人よに人見ごろである。
私のすぐ目の前には、電車の路線とは大きくかけ離れた『セクシー路線』の女性が立っており、しかもこちらの方を向いているので少し気まずい。
そこで私は『第1081回、下車駅までの約20分間、目の前の女性の胸元をチラ見したら負けゲーム』を開催することにした。
――カーン!――
ゴングと同時に私の視線は軽やかに右上部の吊り広告へと移動する。出足ならぬ出目…ええい、出目では意味が違ってくるではないか!…は、好調である。
今度はするりと斜め前方の男性が立ち読む新聞見出しへと移動すると、そこから文庫小説のタイトル→携帯→ブランド物のバッグの真贋→ネクタイの柄→天候→指輪の宝石の真贋→靴の汚れ具合→毛髪の真贋→携帯→ヒゲ→白髪→欠伸→路線図と、次々に視線の先を変え、時間は文字通り瞬く間に過ぎてゆく。
…やがて、下車駅が近付き、ゲームは私の大勝利にて幕を下ろそうとしていたその時、ふと、私の脳裏に甘美なる囁きが過る。
(…もったいない)
………………
………………
………………
………………
………………
…………負け。
2006年12月04日 17:49 勤務 2006
トーキョーシティの中心地である『トーキョーメガロポリス』から少しだけ離れた場所に、私の勤務地がある。私はそこで毎日バリバリと働いている人を窓から眺めている。勤務地はビルの三階にあるので、道行く人々は皆頭頂部のみに見え、本日も様々な頭頂部が右往左往しているのがよく見える。
…私はこの日、『行列ができるラーメン店』1日分の客数ほどの頭頂部を眺め、日暮れと共に勤務地を後にした。
帰りの混雑した電車内では表情に疲れの見える方々を臨み、疲れと憂いを少しわけてもらう。
…自宅の最寄り駅に降り、バイクを駐輪場から救出する頃にはもう辺りは暗くなっており、月がはっきりと見えていた。
(…良い月だ。今夜の表面模様のデザインは非常に抽象的で、独創性がある。)
月を愛でる『余裕』がある環境に身を置いていては、得られる美人も得られないというのに、人間や動物としての能力を2%しか使用していない私の脳は、もう抑えがきかないほどの欲求不満なのだ。
…再び月を見上げる。
月は脳使用率2%の男を見て笑っているのだろうか?憐れんでいるのだろうか?それとも視力的に見えていないのだろうか?
確実なことと言えば、柄が非常に抽象的で、独創性があるということだけである。
2006年12月05日 15:43 3日間 −1日目- 2006
…それは、単なる体調不良からくるものだったのか。
それとも、なんらかの『奇跡的な意思』による試練だったのか。
真実は私自身にも分からない。
…この『3日間』の出来事を、私は生涯忘れる事がないだろう…。
2006年12月1日、私は珍しく昼時に電車で移動をしていた。
朝から日没までデスクワークをしている私にとって、昼食以外の用事で外出することはきわめて稀なことであった。
…とはいえ、目的はそれほど特別なものではなく、単に仕事で作成したデータを、取引先の会社に持って行くだけのことであった。
12月に入った東京は、昼間でも結構な冷えこみがあったが、久々の外出でうかれる気分がそれを感じさせなかった。
「………ぬぁぐぅっ!?」
走行する電車内で、突然呻き声にも似た奇声をあげた私。
周囲の人間は何事かと驚いて視線を投げかけてきたが、それ以上に驚いていたのは私自身である。
それほど、その激しい腹痛は突然おとずれたのである。
(……あ…あぁあぁあ…あ…あ…なんだ…この腹の痛さは……)
水門が開放されたダムのように激しく流れ出す脂汗。
私は腹部を押さえつつ、なぜ急に腹痛が起こったのかを考えた…。
…………………………
………………………
……………………
…………………
………………
…牡蛎を食べていた。
(…あ、アレかぁあああぁあああっ!?)
出かける前に立ち寄った定食屋。そこで私が食べたのが『牡蛎フライ』であった。
(…だ、ダメだ…駅のトイレへ行かないと…)
腹部の不快感が徐々に下方向へ向かっていたため、私は早急にこれを解放してやる必要があった。
(…はぁあぁあ、あ、あ…あ…トイレ…トイレ…)
捨てる神あれば、拾う神あり。腹下す男あれば、受け止めるトイレあり。…である。
世の中は実に巧妙に出来ている。そう実感したのは、腹痛が起こったすぐあとに、乗換えをするため下車する予定だった駅に到着したからである。
―― しばしお花畑をご想像下さい ――
先ほどの下方向への解放が功を奏したのか、なんとか無事目的地のある駅まで辿くり着くことができた。
あとは取引先の会社まで、徒歩15分の距離をひたすら歩くだけである。
(…刺すようなお腹の痛みも治まった。…よかった。もう大丈夫だな…)
しかし、道程のおよそ半分ほどを歩いたところで、再び悲劇は起こった。
「………ふぐぅっ!?」
突然、今度は上方向に不快感が駆け上がってきたのである。
(…い、いかん。こんな道端で、いきなりゲロなんかできんっ!トイレ…トイレェ〜ッ!)
捨てる神あれば、拾う神あり。吐く男あれば、受け止めるトイレあり。…である。
世の中は実に巧妙に出来ている。そう実感したのは、嘔吐感に襲われた場所のすぐ先に、大きなドラッグストアがあったからである。
私は急いでそのドラッグストアに駆けこんだ。
―― しばしお花畑をご想像下さい ――
きれいなトイレがあったのも有難かったが、それ以上にそこがドラッグストアであるということが有難かった。
私は後々のことも考え、ここで『正露丸』とミネラルウォーターを買い、再びトイレへ戻ると、『携帯用正露丸』と書かれた小さな箱を開けて中身を取り出した。
中には確かに携帯用という名に相応しい、プラスチックのピルケースが入っており、フタを外すと穴から正露丸を何粒か振り出せるようになっていた。
…さっそく一振り、二振り、ピルケースを振る。
…一粒も出てこない。
三振り、四振りしても全く中身が出てくる気配がないので、私は穴から中身を覗きこんだ。
…中にはねとっとした黒い粒が、びっしりとひしめき合って並んでいた。
(ちょ…コレ、白い『糖衣』のやつじゃないのかよっ!?く…黒っ!くさっ!!!)
私は久しぶりに見たドス黒い正露丸に驚いたが、これ以上寄り道に時間を割くわけにはいかなかったので、意を決して黒い正露丸を飲むことにした。
…再び一振り、二振り…三振り、四振り…五振り七振り八振り九振り……
「えぇえいっ!ドチクショウッ!!!」
―― ドンッッ ――
…トイレじゅうに、正露丸が散らばった。
「……………………………」
「……………………………」
―― ピリリリリリリリリ ピリリリリリリリリ ――
突然鳴った携帯電話の音で、私は正気を取り戻した。
電話の相手はこれから伺う予定だった会社の担当者であった。
私は慌てて時計を確認すると、既に約束の14時が過ぎていた。
「も、もうすぐ近くです。そちらの。…はい。大丈夫です。もう間もなく到着しますので……ハイ。ハイ。…では、失礼します…」
約束の時間は過ぎ、体調は最悪。オマケに正露丸がトイレじゅうに散らばった状態…
「……………………………」
「……………………………」
「…う、…うおォオオオオおぉおおおおぉおおオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!」
私はドラッグストアのトイレで雄叫びをあげると、今まで密かに溜め込んでいた『謎のパワー』を開放し、怒涛の勢いでトイレに散らばった正露丸を全て素手で拾い上げると、外のゴミ箱にそれをピルケースごと投げ込み、亀仙人のもとで修行を始めた頃のクリリン並みの速さで取引先の会社へ向かったが、あと50メートルほどのところでついに体力が底をつき、生きながらにして死んでいる状態となってしまった。
「こ、こんにちは…」
偶然なにかの用事で出てきていた取引先会社の女性社員の方が、私に挨拶をしてくれたが、私は
「…あ、あ…あぁ…あ…ああ…あ」
女性社員は足早に立ち去ってしまった。
…きっと、変人だと思われたのだろう。
…いや、私が変人であることは確かなのだが、その日のその状態は、決して変人だからそうなったわけではなくて…もしも…弁明する機会があるのなら…私はきちんと私が変人であるということを…いや、そうではなく、そういう意味での変人とか変人じゃないとか……。
長い長い旅の末、私はついに取引先の会社へ到着した。
扉を開ける。
「あぁ、原西さん!ちょうど今お昼のお弁当が届いたところなんですよ!ほら、今日は原西さんのぶんも頼んでありますから!さあ、どうぞどうぞ、食べていって下さい…」
(…明日は仕事上絶対に外せないボウリング大会と、デートがあるというのに、私は…私は…)
「原西さん、デザートはあんみつですよ!」
--- 続く ---
2006年12月06日 14:34 3日間 -2日目その1- 2006
謎の腹痛(牡蛎が原因か?)により、大変な一日となった12月1日も、就寝前には比較的穏やかなものとなっていた。
翌日の12月2日には、『ボウリング大会』と『デート』が予定されていただけに、その穏やかさは本当に有り難かった。
(…よかった。これなら明日は大丈夫だな…)
―― 翌日 12月2日 ――
目覚めと共に、私は愕然とした。
『発熱』していたのである。
「…………………………」
「…………………………」
体の節々が痛く、悪寒や頭痛もあった。
「…………………………」
「…………………風邪か」
この日予定されているボウリング大会もデートも、「すいません風邪ひきました」と言ってどうにかなるものではなかった。
やるか、やられるかだった。
「…………………………」
「…………やるしか…ない」
私は小刻みに震える体をゆっくりとベッドから起こし、立ち上がった。
…20年ぶりに、『朝勃ち』が無かった。
(…もう、ここへは戻ってこれないかもしれんな…)
私は覚悟を決めていた。
仕事のボウリング大会は『チーム対抗』。適当に投げて同チームの取引先の方々を怒らせたら…即死。
夜のデートは既にシティホテルまで予約しており、『セックス』をしなくてはならない…。
彼女は超ツンデレ&ネガティブ思考。もし仮にボウリング後「風邪ひいたからから…」などと言ったら、どんな暴走をするか分からない…。
「…ハメ。ハメ、起きろ。」
隣で凄まじい寝息をたてて眠る『ハメ太郎』に声をかけ、私は最期の言葉を遺した。
「…ハメ。私は今日、おそらく無事に帰ることができない。寂しくなるとは思うが…耐えてくれ!そして、私の分も精一杯生きろ!ウサギとして、お前はもう平均寿命の倍以上は生きているバケモノだが、それでも…もっともっと生きてくれ!!傲慢に!!!そして…そして今よりもっともっと巨大化して…最後は地球を喰ってやれっ!!!なぁっ?ハメ太郎!?って、オイ!起きろよっ!無視か!?飼い主のピンチに、イビキか!?少しは気をきかせて『ユンケル』くらい買って来いや!」
―― そして ――
…寒い。
12月なのだから寒いのは当然だが、比較的暖かい電車内でもガタガタ震えているのは果たしてどうだろう?寒いのに、汗が出る。汗だくで、震えている。
…周囲の目が痛い。
まずはボウリング。この関節の痛みでロクに肩も上がらない状態で、チーム戦最低ノルマであるスコア120を出さなければ…即死。
(…はぁはぁ…あぁ…でもダメだ…電車に乗っているだけでも…意識が遠のく…。はぁはぁ…苦しい…はぁはぁ…頭が痛い…はぁハァ……はぁはぁハァはぁ…はぁ…はぁはぁハァハァハァはぁはぁはぁ…)
--- 続く ---
2006年12月07日 17:22 3日間 -2日目その2- 2006
…ボウリング場のロビーで私を待っていたのは、大会で同チームとなる取引先の重役達であった。
私自身、本来の集合時間よりも少し早めに着いたにもかかわらず、すでに到着していたこの奇天烈な重役達からは、今回の大会に対する並々ならぬ意気込みが感じられた。
「原西君!今日は頼むよ?絶対優勝だからね!君の頑張りにかかってるんだからね!」
―― ルール ――
・大会は4人で1チーム。計6チームで行われる。
・勝敗は、チーム(4人)での平均スコアで決められる。
・優勝チームには豪華商品
・最下位チームはその日のゲーム代全てを払わなければならない
・私が所属するチームのメンバー3人はかなりの実力者。もちろん優勝候補大本命。私が足を引っ張らなければ間違いなく優勝!
・風邪による頭痛、関節痛、倦怠感の中、120UPはすべし!
…脂汗を拭い、引きつった作り笑顔で全ての参加者達との社交辞令を済ませると、大会の火蓋は切って落とされた。
皆、それぞれにボウリング球を持ってレーンへと移動すると、仲間達からの声援を受けながら球を投げ始めた。
(…いつも使ってる球って、『10』だっけ…どれどれ…ん………んん!?お、重いじゃないか!?…こんなに重かったっけ!?…いや、そうか。…今日は風邪で力が…。…ここはひとつ『9』にするか?……あ、『9』を女性が持って行った…。やはり成人男性が『9』というのもなぁ…。…仕方ない、『10』でいくしかない…)
…早くも歓声があがる。6レーン中3レーンで、早くもストライクが飛び出したのだ。
しかも、そのうちのひとつは私が所属するチームだった。
(…くそ。いきなりかよ。…最初のゲームくらい、もっと楽にいけよ…)
…心臓が、激しく高鳴っていた。…それが緊張からくるものなのか、体調不良からくるただの『動悸』なのかは判らない。私は『10』と刻印されたボウリング球を両手で抱えると、足早にチームと合流した。
(………オイオイオイオイオイ)
…スコア画面には、4番目の投者である私に投げるよう促した言葉と、『ストライク』、『スペア』、『スペア』と続いたことを知らせるマークが映っていた。
「…さ、さすがに皆さんお上手ですねぇ!…僕も、足を引っ張らないよう頑張りまーす!」
…他のチームは非常に和気あいあいとボウリングを楽しんでいるのに、私のチームのメンバーだけは開始からまだ誰も笑っていない。
…第一投目。
…早くも汗だく。
…手汗が凄すぎて、乾かない。
…もう、体調悪すぎで…緊張しすぎで…なにがなんだか解らない。
…第1ゲーム、1フレーム目。必死な思いで2投を投げたが、ピンが倒れる音は……しなかった。
--- 続く ---
2006年12月08日 19:53 3日間 -2日目その3- 2006
…奇跡の『ダブル・ガーター』によって幕を開けたボウリング大会。
中盤以降、死力を尽くして投げぬいた甲斐もなく、スコアは横ばい状態。
…第1ゲームの結果は、スコア76だった。
(…ハァハァ…ハァハァハァ…スコア…76………南無……はぁ…)
…思わずシャレを思いついたが、場はシャレでは済まない状態だった。
「…す、すみません。次のゲームは頑張りますから…」
…そんな言葉も、無視されちゃう。
『ロールプレイングゲーム』の戦闘のように逃げ出したかったが…逃げられなかった。
…これは『ボス戦』に相当するイベントであるからだ。
第2ゲーム。
早くも第1ゲームの疲れが出始め、体調も更なる悪化の一途を辿っていた。
そんな私とは対照的に、同チームのメンバーは相変わらずの好調。
次々とストライクをたたき出している。たたきだしているが…チーム順位は2位。
なぜ2位か?…それは私が足を引っ張っているからだよ。
だってそうだろう!?1ゲーム目の結果なんて『76』だぜ!?そんな点数、今までとったことがねぇよ!あぁないとも!初めてボウリングやったときでも、もう少しマシなスコアだったさ!こんなミスが許されない大舞台で、最低記録を着々と更新してやがるんだから、そりゃああ足手まといだとも!
「…申し訳ありません」
…3ゲーム目が始まる前に、私は早くも90度に背を曲げて頭を垂れた。
…もう、頭痛がひどすぎて、悪寒が半端ではなくなって、脂汗がとめどなく溢れて、体中が痛すぎて…緊張に緊張を重ねすぎて………もう…もう真っ白だ……。
―― ボウリング大会 結果発表 ――
1ゲーム目 スコア 76
2ゲーム目 スコア 90
3ゲーム目 スコア 99
チーム戦結果 3位
個人戦結果 最下位
疲労度 9533321
経験値 -6033
私はレベルが下がった。力が15下がった。知力が8下がった。すばやさが11下がった。『言い訳』を覚えた。『筋肉痛』を手に入れた。
次のイベントはデート。
今の状態ではある意味、接待ボウリング以上に厳しいイベントである。
(…彼女…今日のデート楽しみにしてたな…。…期待…裏切れないな…セックスも…しなきゃな…)
ボウリング場の貸し靴コーナーで苦しそうにうなだれている私に、他のチームの女性が声をかける。
「…大丈夫ですか?立てます?」
(……勃たねぇよ)
--- 続く ---
2006年12月09日 16:41 3日間 -2日目その4- 2006
「…はぁ…はぁ…はぁ…『ホースト』…そうじゃないホースト……ワン・ツーだ…ワン・ツーのあとに…ローだ…負けるな…ホースト…無敵のコンビネーションを…思い出すんだ…ワン・ツー・ロー…ワン・ツー・ロー…だ…」
…薄暗いホテルの一室。体は全く動かなかった。意識も朦朧としていた。しかしそれでも、私はひとり呟き続けていた。
「…コンビネーションだホースト…『シュルト』はローじゃなきゃ…倒せない…」
…………………………………………
……………………………………
……………………………
…ボウリング大会のあと、私は震える体を無理やり動かし、デートの待ち合わせ場所へと向かった。
土曜日ということもあり、繁華街はより一層の賑やかさをみせていた。
私と彼女は、周囲にいる多くのカップルたちがそうしているように、仲良く手を繋ぎあい、ショッピングモールに並んだ様々な商品を指差して笑いあった。
ごく普通のカップルの、ありきたりなデート。…ただひとつ普通ではない点を挙げるとするならば、彼氏のほうが足にキテいた…という点のみである。
「…どうしたの?もう疲れた?」
口数がどんどん少なくなっていく私を心配して、彼女が声をかける。
「……え?あぁ…、ほら。今日の昼間ボウリング大会だったからさ…それで少し肩が…」
本当は「突いたらすぐその場でぶっ倒れるよ!そしてもう二度と目覚めないよ!」…と言いたかったが、言えるわけがない。
彼女はもう30代。子供の付き合いでは…ないのだ(半分以上は私の背伸びからくる意地だが)。
「…まあ、体のほうは心配ないよ。でも少しのどが渇いてきたかも。もう少ししたら、食事しに行こうか?」
…最後の体力を蓄えるため、口にする夕食。昨日から弱りきっていた胃は全くそれを受けつけなかったが、それでも無理やり押し込んだ。
何気ない会話…何気ない笑顔。その後、ワインを飲もうと誘ったシティホテルの一室まで、彼女が私の体調不良に気付くことはなかった。
(…ボウリングは散々だったけど、デートはある意味成功したのだろうか…?)
ワイングラスを並べながら、ふと私は思った。
(…あぁ、心地良さそうなダブルのベッド…。今すぐに…横になりたい…もう…もう…頭が痛くて…倒れそうだ…………だが、まだ…最後の大一番が残っている…。デートの成功…?成功は、これからの性交にかかっているんだ…まだこれからだ…)
セックスは、格闘技に似ている。
誰かがそう言っていた…。
テレビをつけると、ちょうど楽しみにしていた『K-1グランプリ』の決勝大会が、あと1時間で始まる旨を知らせる、テレビCMが流れていた。
「…先に、始めさせてもらうよ…」
ベッドというリングの上に、満身創痍の『ミスター・パーフェクト』が舞い降りた…。
--- 続く ---
2006年12月10日 20:50 3日間 -2日目その5- 2006
「…ハァハァ…ハァハァ…ハァ……ハァ…ハ…ウッ…ハァハァ…ハァハァハァハァハァ…ン…ハァ…ン…ハァハァ…ン…ハァハァ…ン…ハァハァハァハァハァ…アァ…ハァ…ハァハァ…フッ…フッフッ…フッ…ハァ…フッ…ク…ハァハァ…フッ…フッフッ…ン…ハァハァ…ハァハァ…ウウ…ウ…ハァハァ…ウウ…ウウウウウウ…ウ…クッ……ハァハァ…」
―― ピリリリリリリリリ ピリリリリリリリリ ――
「…ハァハァ…ハァハァ…ハァ……ハァ…ハ…ウッ…ハァハァ…ハァハァハァハァハァ…ン…ハァ…ン…ハァハァ…ン…ハァハァ…ン…」
―― ピリリリリリリリリ ピリリリリリリリリ ――
「…ハァハァ…ハァハァ…ハァ……ハァ…ハ…ウッ…ハァハァ…ハァハァハァハァハァ…ン…ハァ…ン…ハァハァ…ン…ハァハァ…ン…」
―― ピリリリリリリリリ ピリリリリリリリリ ――
「……ねぇ、電話…鳴ってるよ…」
(…ドチクショウッ!せっかく…せっかく勃ってたのに…最後の力で…クソッ!誰だよこんな時にっ!)
―― ピリリリリリリリリ ピリリリリリリリリ ――
「…ごめん、なんかしつこく鳴ってるから…出るね」
…本来出るべきものは出さず、私は電話に出た。
「…あ〜モシモシ?『父さん』だけど…。明日さぁ、少し早いけど『お母さん』の誕生日祝いをしようと思うんだ。だから何かプレゼントでも買って、明日の夜までには帰ってきてくれ。わかったな?じゃあ!」
―― ツーーー ツーーー ツーーー ――
…『両親』とは、『セックス』において最も遠ざけるべき存在である。
不十分なセックスをしてしまったお詫びに、大きなケーキを買わされたが、それだけで彼女の機嫌が直ったのは不幸中の幸いだった。(もちろん潜在的な欲求は解消されていないが…)
私は残る最後の力を振り絞り、駅まで彼女を見送ると、穴が開いた風船のようにホテルへ飛び返った。
…もはや、家まで帰るだけの余力は残されてはいなかった。
…長い、長い一日だった。
…もう、体は指一本動かなかった。
(…明日の朝…チェックアウト…そのあと…誕生日…母の……?………まだ半月も先じゃねぇか)
--- 続く ---
2006年12月11日 23:33 3日間 -3日目- 2006
…体調不良のために眠れない夜というものは、なんとも長く、辛いものだろうか。
尋常ではない発熱により、布団の中は汗でびっしょり。
全身は強烈な筋肉痛と倦怠感により、指一本動かない。
頭は激しい頭痛で、決して眠ることを許さない。
…私が究極のドMだったとしても、この責め苦は耐えられるものではない。
しかし耐えねば…いや、耐えるより他はなかった。
看護してくれる者も、薬もなにもない孤独なホテルの一室。
…戦いは、果てしなく続いた…。
―― そして ――
…カーテンの隙間から、かすかに光がもれてくる。
(…朝………か?)
憔悴しきった体を動かし、布団をめくる。
まだ少し寒気があるのと、発熱により出した多量の汗により、自然と体が震えた。
…カーテンを開くと、そこには白んだ街の景観が広がった。
…時刻は午前7時。
私は重い体を引きずり、シャワールームへと移動すると、昨夜彼女が使った浴槽のお湯へと飛び込んだ。
(…風邪そのものは少しマシにはなったけど、一睡もできなかったから体はまだほとんど動かないな…)
午前8時。
小康状態となった体調を好機と考え、私は早々にチェックアウトを済ませると、家に帰って療養することにした。
(…そういえば、今日の夜に『母さん』の誕生日祝いをすると言ってたな…)
私は昨日の父からの電話を思い出すと、プレゼントを買ってやらねばと思いたった。
体はまだ重かったが、それでも母の笑顔のためと、私は自宅最寄り駅の駅前にある百貨店へと足を運んだ。
午前11時。
私は百貨店で母に贈るプレゼントを購入すると、少し早く帰るという旨を報せるため、父に電話をした。
「…モシモシ?…あぁ、お前か。………え?風邪!?…うん…うん…へぇ〜、そりゃあ災難だったなぁ…うん…うん………あっ!でも風邪ひいてるんだったら、帰ってくるな。…え?だってあーちゃん(兄嫁)も来るんだからさ、ダメだよ!『妊婦』なんだから、風邪とかうつったら大変だろ?…あぁ、だからお前は今日帰ってくるな。分かったな?母さんのプレゼントは、また後日渡せばいいから!ほら、母さんの誕生日まだ『半月先』だから…」
「…………………………」
「…………………………」
「…………………………」
2006年12月12日 03:07 ザ・マンリキ 198X
幼少の頃、私も当時一世を風靡していた『キン肉マン』に、それはそれはご執心だった。中でも『キン肉マン消しゴム(通称キンケシ)』という人形収集には相当熱が入り、私も二歳年上の兄も、ことあるごとに父や母に『おねだり』をしたものだ。中でも兄は『ロビンマスク』、私は『ウォーズマン』というキャラクターがお気に入りであったため、当然欲しがる人形もそのキャラクターのものに限定された。
「…父上、今度はいつ『ウォーズマン』を買ってきてくれるの?」
年齢国籍を問わず、あらゆる女性の心と魂を激しくゆさぶる『紅顔の美少年』を超越した『光顔の麗少年』だった当時の私が、『ボルセーナ湖』よりも澄んだ瞳でそう訊ねると、父はまるで『著しく風化した記憶を無理やり引きだしたから台詞とかはもうほぼ漫画みたいだね』といった様子でこう応えた。
「…なにを言ってるんだ。キン肉マン(いくらキャラクター名を連呼しても、それに興味が無い人は絶対にそのキャラクター名を記憶しないし、一番知名度の高い略称でしか呼ばない。…つまりはいつまでたってもTVゲームのハード全てをファミコンと総称し続ける症候群)ならこの間買ってやったばかりだろう?ワガママばかり言うんじゃない」
「違うよ!あれは『ウォーズマン・スマイル』をしている時のウォーズマンだよ!『ベア・クロー』も出していないし…別物だよ!!」
…経緯は記憶の断片の数が不足しているため実書化が不可能だが、とにかくある夜、珍しく父が勤務先から自宅へ電話をかけてきた。それも私宛てにだ。
私は戸惑いつつも電話に出ると、その戸惑いはすぐに歓喜へと変わった。
「やった!!!父上が帰りにキンケシを買ってきてくれるんだって!!!」
その歓喜の声を聞いた母はやれやれという顔をしたが、仕事で夜遅くまで帰れず、なかなか子供と顔を合わせられない父の心境を慮っては、怒るに怒れない様子でもあった。
…私は待った。父の帰りを。…いや、ぶっちゃけ、キンケシの帰りを。
眠気にも、夜の怖ろしさにも耐え、私はただひたすら父の帰りを待ち続けた。
まだ世界が1日20時だと信じていた時代である。父の帰宅時間である22時というのは、まさに未知との遭遇。驚天動地なのだ。
…父帰宅。
私は犯人に飛びかかる獰猛な警察犬かの如く勢いで父にしがみつくと、無言で袖を引いて最後の催促をした。
もちろん父も心得ている。無上の愛を湛えた笑みと共に、使い古した鞄から肌色一色の人形が入ったビニール袋を取り出し、私に手渡してくれた。
…それは確かにキンケシだったが、通常のキンケシ(ガチャガチャのもの)よりも大きなものだった。
「…で、で…『デカケシ』だっ!!!」
私の興奮は絶頂に達した。
『デカケシ』とは、文字通りでっかいキンケシのことであり、玩具店などで売られている上等品だった。
父は無上の愛を湛えた笑みのまま、私が澄んだ瞳をより一層輝かせて礼を述べるのを待っていた。
…だが、私の瞳はまるで『ジャカルタの川』。
「…………『ザ・マンリキ』」

…愕然とする私から振り絞るように吐き出された言葉。それは『ザ・マンリキ』。
通常のキン肉マン消しゴム(ガチャガチャサイズ)よりも7〜8倍ほど大きい『ザ・マンリキ』。
塩化ビニールでできているとは思えないほどカッチカチに硬い『ザ・マンリキ』。
硬くてデカい『ザ・マンリキ』。
『ザ・マンリキ』なのである。
…泣きたかった。…でも、せっかく父が買ってきてくれたのである。たとえそれが『ザ・マンリキ』であったとしても、『ザ・マンリキ』でなかったとしても、ここは素直に作り笑顔をするしかなかった。私は健気でかわいかったのである。
「………チチウエ、ステキナ『ザ・マンリキ』ヲドウモアリガトウ。ボク、コノ『ザ・マンリキ』ダイジニスルヨ……」
…その後、『ザ・マンリキ』はそのデカさと硬さゆえに、私のオモチャ界に大混乱を引き起こす。
オモチャ界の皆は『ザ・マンリキ』打倒に日々奮戦するも、俄然猛威を振るい続ける『ザ・マンリキ』。
…そんな中、悪役『ザ・マンリキ』を徐々に好きになっていく私があった。
それは、最初は単に憎き敵であった『ゴジラ』が、徐々に人々から愛されるようになっていった経緯に近いものがあったのかもしれないが、厳密にはどうか解らない。知らない。興味も無い。
…とにかくある夜、ついに『ザ・マンリキ』は『聖域』である風呂への持ち込まれを許可された。私の中でこれはいわゆる『殿堂入り』を果たしたということでもあった。
…が、悲劇は突然訪れる。
湯に浸けると、カチカチに硬かった『ザ・マンリキ』のボディが、異様に軟らかくなることを私は発見してしまった。あまりにもカチカチで『ドロップキック』と『ヘッドバット』しかできなかった『ザ・マンリキ』が、まるで針金人形のように可動するのだ。私は大喜びで、軟らかくなった『ザ・マンリキ』を思う存分動かした!『ケンカキック』ができる!『ローリングソバット』もできる!『右フック』に『左フック』!とどめの『右ストレート』だ!!!
………………………………
………………………………
………………………………
………………………………
…………腕がもげた。
呆然とする中、足ももげた…。
『ザ・マンリキ』の時代は終了した…。
2006年12月13日 17:07 カレンダーはかく語りき 2006
………
………
……
…
…心地よい雨音がする。
目覚めと共に聞こえる雨音を心地よく感じるのは、私が雨天を嫌わない稀有なアホだからだ。
…隣で目を閉じ、大きな寝息と共に伸縮を繰り返す獣は、雨が苦手である。
理由はふたつ。仮にもウサギの一種であるということと、もうひとつはアホだからだ。
…私は起き上がると、下着を身につけた。
目覚めの後、最初に行うのが『着替え』ではなく『身につける』なのは、私が春夏秋冬『全裸』で眠る稀有なアホだからだ。
…隣で未だ目を閉じ、緊張感無く大きな寝息と共に伸縮を繰り返す獣は、春夏秋冬毛皮を身につけて眠っている。
理由はふたつ。仮にもウサギの一種であるということと、もうひとつはアホだからだ。
…部屋の灯りを点けようと立ち上がるも、新聞配達屋が駆るバイクの音が聞こえ、私は思わず息を潜める。
『新聞配達屋』という過酷な職務を全うしているにもかかわらず、『頑張り屋』も兼業している人間が、私は妬ましくて仕方がない。
…とにかく、バイク音を聞いてしまったからには、新聞は駅などで購入する他無かったので、私は代わりにカレンダーでも眺めることにした。
カレンダーはさも当然のように11月と12月を示している。…が、しかし去年のものだ。
このカレンダーには、もう11月と12月を示すページしか残されていない。
それ以前のページは時の過ぎ行くままに私が破り捨て、本来あった翌年(今年)の1月2月のページは「2005年のカレンダーのくせに、2006年まで掲載するとは越権行為だぞ!」と、憤慨したエゴイストによって破り捨てられてしまった。
こうして後にも引けず、先にも進めぬ憐れな時の囚人は、怒り冷めやらぬエゴイストの間違った意思によって、消滅ではなく永遠の停滞を余儀なくされたというわけだ。『ブツに歴史あり』である。
…寝ぼけ眼のまま牛乳を取りに行く。朝に牛乳を飲むと5分の1の確率で下痢になるが、朝はやはり牛乳が一番である。
さらに嬉しいことに、牛乳の配達屋は新聞の配達屋と違って絶対に『頑張り屋』の一面を私に覚らせない。…恐らく忍者なのだろう。
牛乳。コーヒー牛乳。フルーツ牛乳をそれぞれ一本ずつ庭に設置された『ホワイトベース』から奪取し、その場でまず牛乳を一気に飲み干す。
これにより『序覚』が強制終了され、先ほどより少し目が覚める。
私には目覚めが三段階(『序覚』『練覚』『晩覚』)あり、それぞれの状態が2時間ずつ続く。つまり、完全な覚醒には6時間を要するのだが、牛乳→コーヒー牛乳→フルーツ牛乳と飲み継ぐことにより、それらの状態を強制的に終了させることができるのだ。このことは古代の歴史書『胃之姫凡場家』にも記されている。
…部屋に戻るとカレンダーが意を決して私に語りかけてくる。
「…そろそろ破棄していただけませんか?先立った兄弟達も皆私を待っているはずですし…」
私はコーヒー牛乳のふたを開け
「…ダメだ」
カレンダーは続けて
「ご不興をかったことはお詫びします。だからもう許してください…」
私はコーヒー牛乳を飲み干し
「…ダメだ」
カレンダーは少し苛ついた様子で
「…何故ですか?」
私はフルーツ牛乳のふたを開け
「お前のページに写るウサギが、かわいらしいからだ」
カレンダーは呆れた様子で
「…そうですか。ならいっそのこと写真だけ切り抜いてポスター扱いにしてみては…?」
私はフルーツ牛乳を飲むと見せかけていきなり激昂し
「何だと!?ブツのくせに転生を望むとは、リサイクルブームの寵児だよ貴様は!その思い上がった性根が気に入らん!」
カレンダーもとうとうキレて
「…リサイクルの何がいけないんだよ!?」
私は冷静にフルーツ牛乳を一口だけ飲んで
「…お前は転生が怖くはないのか?来世はトイレットペーパーにされて、ケツを拭かれるかもしれんのだぞ!?」
カレンダーはなお激しくキレて
「……それでも、ただ無用に停滞の時を過ごし続けるよりはマシだ!」
私はフルーツ牛乳を飲み干し、少しお腹を押さえ
「…ほほう。その心意気や良し!ならば貴様には今すぐケツを拭かれる屈辱を与えてやろう!!」
カレンダーは驚いた様子で
「なっ!?…この外道っ!!!!」
私は少し青い顔をして
「何とでも言うが良い!さあ来いっ!一緒にトイレへ行くのだ!!!」
カレンダーはもうヤケになって
「うぁっ!チクショウ!放せっ!お前なんか…お前なんか…何にも再生されようがないくせに!生きながらにして停滞してるくせに!」
私は思わずカレンダーを落とし
「………ぬなっ!?」
…………………
…………………
…………………
…ハッ…夢…
…どの時点で二度寝をして、どの時点から夢だったのかは私にも解らない。
私は起き上がると、カレンダーの写真を携帯電話のカメラに収め、古くなったカレンダーを捨て、新聞と牛乳を取りに行った。
外は雨天だったが、私の心はとても晴れやかだった。何故なら私はアホなのだ。
2006年12月14日 10:25 宇宙の中の地球の中の日本の中の田舎の中のバスの中の頭の中の心の中で 2006
(雨天ならバス。…それ以外はバイク)
通勤時に使用する移動手段は、数年の思索思案を経て『型』となる。
人間は、この『型』にとても忠実であり、滅多なことではそれを自ら崩すようなことはしない。それどころか、無意識下にある深層意識の中では、常にその型通りに行動するよう、声無き声で自身に言い聞かせていたりもするのである(藻辺所打路大学出版『今日ではなく明日気付く嘘』より)。
(雨天ならバス。…それ以外はバイク)
…朝、窓のカーテンの隙間から覗く空はまるで、オムツのコマーシャルにおいて、決して漏れにくいということをアピールする際に用いられる、尿の替わりの青い液体ほど青かった。
(雨天ならバス。…それ以外はバイク)
…身支度やら『ハメ太郎』の『本拠地』及び『中継基地』並びに『前線基地』の清掃などを手早く済ませると、私は『代替尿色』の空の下へと弾け出た。
(雨天ならバス。…それ以外はバイク)
…いつも通り、庭には一羽、ハメ太郎がいた。
ハメ太郎はいつも通り、専用菜園にて朝食を摂っているようだ。図体は異様に巨大であるにもかかわらず、器用にも歯や足を使って『シロツメクサ』の食べられる部分と食べられない部分を選り分けながら食べている光景が、憎たらしかった。
そしていつも通り、仕事へ行く私には一瞥もくれない。
獣とはいえ…いや、獣だからこそ、ハメ太郎もまた毎日の『型』に沿って生きているのかもしれない。
(雨天ならバス。…それ以外はバイク)
…すっかり冷たくなった風を鬱陶しく思いつつ、私は乾いた田畑に挟まれた細い農道を歩き、バス停へと向かった。
(雨天ならバス。…それ以外はバイクって…朝から何回も何回も連呼してるだろうがっ!)
…なんだか自身の脳に激昂された気がして、私は歩みを止めた。
…うっかりしていた。
私は振り返り、家から現在地までの距離をざっと目測した。
距離…およそ100m。多少面倒ではあるものの、戻れない距離ではなかった…が、私はあえて戻らなかった。
『多少の面倒も、面倒は面倒。面倒は不幸。不幸良くない』という古代アトランティスのことわざにもあるように、それは人生において極力避けるべきものだったからだ。
『バスが来る=乗る』この方程式が完成したとき、私はバスに揺られていた。
乗車口からほど近い座席は、雨天により混雑を予想される日ならば避けて然るべき座席(年寄りに譲るのが面倒なため)だが、この晴天ではさしたる混雑も無いはずである。
事実、私がバスに乗車した時点での人数は、私を含めたったの二人であった(雨天時は十人以上)。
(たまにはゆったりバスもいい…)
…………………
………………
……………
…………
………
…んむ。
目を明けると、車窓の景色は茶色一色の田園地帯から、灰色と黒と赤と黄と青の暗黒国道色へと変貌を遂げていた。
私は前後を見渡し、再び乗客の数を確かめたが、特に増えた様子もなく、車内にはバスの走行音だけが響いていた。
(もうすぐ『病院前』か…)
『病院前』は、このバス路線の中で最も乗客が多いバス停である。
しかも、乗客のほとんどが病院帰りの客で、優先座席に表記されている条件に合った人々が続々と乗り込んでくる。
…ということは、席を譲らねばならない可能性が飛躍的に上がるということであり、雨天ならばこのバス停直前で席を立って吊革に移動するポイントなのである(わざわざ声をかけて譲るのがめんどくさいため)。
…だが今日は晴天。わざわざ私が席を立たずとも、席は乗客全てに行き渡るだろう。私はここでも『型』を破り、初めて席を立たずに『病院前』を迎えたのだった。
―― ヴゲェヱヱッ ――
不愉快な音と共に、バスの乗車口が開く。
やはり他のバス停とは比べものにならないほどの乗客が乗り込んできたが、後に並んでる人数を数え見ても全員着席可能と判断できた。
…と、最後に一人、ロングコート姿の若い女性が少し遅れて乗り込んできた。
女性はバスに乗り込むと、きょろきょろと辺りを見回し空席を探したが、すぐに諦めて乗車口近くの私が座る席のすぐ横へと移動し、吊革につかまった。
(…フフフ…残念でしたね、お嬢さん。まあ、若いうちはこの程度の苦労など、買ってでも…)
「あんた!妊婦さんじゃないの?ホラッ!ここに座りなさい。私はいいから…さあ!」
そう言って私のすぐ後ろに座っていた老婆が立ち上がると、車内は静まり返った。
立っていた女性も驚いた様子ですぐには動けず、声も発しない。
そして、その一声によって車内で一番驚いたのは、声をかけられた女性本人ではなく…私である。
(…えぇぇえええええぇええええええッ!?)
咄嗟に横を向き、失礼して女性の腹部を確認する。もちろん目視で。
…が、女性は比較的ゆったりとしたロングコートを着ていたため、体型を確認することは極めて困難であった。
(…ちょ…でも…全然お腹に目立った様子は見られないんですけど…えぇぇええッ!?)
私が困惑する中、立ち上がった老婆はしきりに若い女性を座らそうと促している。
女性はまだ動かない。声も発しない。ただ、老婆を見つめるだけである。
(お…お婆さん、その女の子は多分妊婦さんでは…)
私は原因不明の脂汗を拭いながら、横目で二人の様子を窺った。
…すると、不意に立っていた若い女性が口を開く。
「すいませ〜ん。そうなんです。私、妊娠してるんです。助かりました〜」
老婆のそれよりも更に大きく、甲高い声で女性はそう言うと、老婆が座っていた席に腰を下ろした。
(…えぇぇえええええぇええええええッ!?)
私の脂汗は2.8倍に増えた。
そして立ち上がった老婆はなぜか私のすぐ横の吊革へ。
私の脂汗は5.9倍に増えた。
日本人であるならば、優先座席に表記されている人々に席を譲るのは常識であり、当然であり、必然であり、まさに『型』である。
(…ああ……私は…私はもしや妊婦に席を譲らなかったのか…?この私が!?私は…私はそんな人間では………)
私は耳の先に火が点くのを感じながら、唇を噛み締め、7.2倍に増えた脂汗を拭った。
(だが!そうだ!今回の…私の後ろに座る女性については、いささか判断が難しかった!だって考えてもみろ、ただロングコートを着ていて体型がよく分からなかったからといって、「どうぞ」と席が譲れるか!?否!それは否である。もちろん「妊婦さんですか?」などといきなり問うのはもってのほかである。…で、あるならば、私がとった行動は正しかったのか?妊婦を横に立たせて、座り続けることが!?否!それも断じて否!…だったらどうすれば良かった?私は…私のとるべき行動は…………いや、待て。それを考えるのは後だ。既に賽は投げられているのだ。老婆の行動によって!)
私の脂汗は12.9倍に増えた。
(………今、私の横に立っているのは老婆だ。誰が見ても完全な老婆だ。ならば、私は老婆に席を譲るべきだろうか?通常ならばその答えはひとつしかない。…が、この老婆は今他人に席を譲ったばかりなのである。そんな老婆に「ここへどうぞ」とは言い難い。それだと、せっかく席を譲った老婆の顔に泥を塗ることになるかもしれないし、じゃあ最初からお前が妊婦さんに席を譲れば良かったんだよ…と他の乗客に思われるかもしれない)
私の脂汗は15.1倍に増え、いよいよ人間が流してはいけない脂汗の量を超え始めた。
(…………そもそも、私の後の女性は、本当に妊婦なのだろうか…?)
それは、とても甘く愚かで、だが寒気がするほどのミステリー性を秘めた疑問であった。
(…後の女性が本当に妊婦だとするならば、妊婦だと断定する老婆の声に驚くことなく、すぐに何らかの返答をしていたはずだ。それに、女性が返した言葉は、ものすごく不自然だった。「私、妊娠してるんです」…咄嗟とはいえ、妊婦がそんな言葉を発するだろうか…?)
…疑心暗鬼は人間にとって剣であり、盾でもある。やり場のない憤りと困惑と焦燥が、私の脳内へと侵入し、黒い意思へと変貌を遂げるのを、疑心暗鬼が盾として防いでいるのだ。ありがとう、疑心暗鬼。
(…ハッ!女性を疑っている場合ではなかった!…そうだ、問題は老婆に席を譲るかどうかだ!)
私はいよいよ決断を迫られた。脂汗は21.7倍に増え、肉体的にも精神的にも限界が近付いていた。いや、それ以上に、バスが終点へと近付いていたのだ。
(…どうする?…どうする…どうする…?どうしよう…?どうしたらいいの…?どうしましょう…?どうすんだ…?どう…?どう?どう?どう?どう?どう?ど?ど?ど?ど?????????★??????????□?????????○???????????????☆????????$???????♯??????●????????????Ф?п??????????Э??????????б?????????チーーーン………)
―― ヴゲェヱヱッ ――
バスの扉が開いた。…終点である。
この日の夕方、私は駅から家までの帰り道を、約1時間半かけて歩いて帰った。
…帰宅後、ハメ太郎は、何かを悟り、何かを決意した私の顔を、ずっと、ずっと眺めていた。ずっと…
2006年12月15日 22:09 梅雨のとある日… 2006
梅雨といえば紫陽花。紫陽花といえば梅雨。
今年は日照不足の影響で開花が遅れるなどということをTVで耳にしていたが、梅雨に入る頃にはもう、主だった自生ポイントでは満開の紫陽花が見受けられた。
紫陽花は、遠目には色鮮やかで美しく見えるが、近くでよく見ると何だか気持ちが悪い花である。
…梅雨はいい。無類の雨好きの私としては心が和む次第であり、雨の影響で工事が遅々として進まない政府の尖兵達への、善き嫌がらせともなっている。
安らかに眠れる日が多くなるということは、それ即ち幸せなのである。
――ガリガリッ!ドドドッ!ズドドドドドド!…キューーン…――
………………………………
……………………………
…………………………
………………………
……………………
…………………
………………
……………梅雨を賛美した朝に限って快晴なのは、まさしく『天命』である。
(…あぁ、ダメだぁ。…倒れそう。ここでもし倒れたら…死んじゃうよ)
毎朝シャワーを浴びるたびに襲い来る立ち眩み。
アホな『ハメ太郎』の獣臭のせいで、私は毎朝シャワーを浴びなければ、元の人間臭さを取り戻せない薄幸ボディとなっていた。
獣臭を身に纏っている男に好意を抱いてくれるのは、せいぜい『もののけ姫』くらいだろうから、私は念入りにシャワーを浴びる。『もののけ姫』も、まあ美女の部類に入るのだろうが、恋愛関係となるためには超えなければならない障害がざっと4000はある。4000の障害を超えなければならない一人の美女と、障害がたった50〜500の世界中の美女とでは、秤にかけるのもばかばかしい。
(…ハァ。朝のシャワーの際、同時に歯磨きまでしてしまう私って…ワルだな)
…浴室を出ると、廊下にハメ太郎の姿があった。どうやら遊戯用にタオルを探しているようだが、与えてはやらない。そのかわり、浴室から自力で発見した際には、それをボロ雑巾に変えられようと怒りはしない。
(…ふっ、獣の脳でせいぜい足掻くがいい…)
私はバスタオルを腰に巻いた、いささかセクシーなスタイルで、颯爽とハメ太郎の横を通り過ぎた。
…が、私とのすれ違いざまに、これ機なりとハメ太郎は私のバスタオルをくわえて引っ張った。
…はらりと落ちるバスタオル。それを当たり前のようにくわえて歩きだすハメ太郎。
(…見事だ。見事な知恵だぞハメ太郎…)
私は生意気な獣に『ドラゴンスリーパーホールド』をかけると、拭き残しを全て毛皮で拭いてやった。
(…あぁ、ダメだぁ。…倒れそう。ここでもし倒れたら…死んじゃうよ)
二度目のシャワーを浴びながら感じる立ち眩み。
何故朝っぱらから二度もシャワーを浴びなければならないのか?そもそも何故シャワーを浴びなくてはならないのか?っていうか、シャワーって誰が考案したの?シャワーって何でシャワーって名前なの?音?
薄れゆく意識の中で、私は(いつかハメ太郎が亡くなったら帽子にしよう)…そう考えていた。

…紫陽花をもりもり食べているハメ太郎の姿を目撃し、生命の不思議を考えさせられたのは、その数日後のことだった。
2006年12月18日 16:28 白黒 2006
私は毎日欠かさず30分間ゲームをする。
…と、いうことを誰かに話すと、必ず「なんていうゲーム?」と聞き返される。
聞き返されたら、私はそこで「………『オセロ』」と答える。
…会話が終わる。
仕方がないさ。そういう人間もいるのだよ。稀だが。
…今日も仕事の合間に、オセロを始める。
私がいつも遊んでいるのは、インターネットを使って世界中の人と対戦ができる『インターネットリバーシ』だ。
コンピューターを相手にするオセロゲームは、パターンさえ読めればすぐに攻略することができるため、私はあまりやらないが(とはいえ、本気で演算させたらオセロはCPUが強い)、対人戦は定石も戦略も人によってバラバラなため、飽きがこなく面白い。
(…ほう。今日のお相手はイタリアの方ですか。どれどれ…)
イタリア人と表記された相手との対戦が、静かに始まった。
序〜中盤の攻防では、やや私が優勢に見えてはいたが、相手もなかなかに巧い。
『取らせる』『囲ませる』を信条する私の定石をよく読み、誘いに乗ったフリをしながら終盤の攻防に向けての配置を進めていたのだ。
(…しまった!)
終盤は相手の思惑どおりの展開となりつつあった。
だが、幸いにも序盤である程度固めていた箇所があったので、私は相手の猛攻をなんとか迎え撃つことができた。
―― そして ――
対戦結果の画面に映し出された文字は…『引き分け』。
文字どおり、『白黒』はっきりさせやすいのがオセロの特徴だ。
が、しかし一進一退の攻防が続くと、ごく稀に引き分けという結果も発生する。
「…………………………」
「…………………………」
「…………納得いかんな」
…オセロに関しては、私も少しばかり負けず嫌いになる。
私はすぐに『再戦』と書かれたボタンをクリックすると、相手も即座にそれに応える。
(…イタリアがどのような国で、今対戦しているアンタがどのような人間なのかは知らないが、今度こそ勝たせてもらう!絶対に!そして勝ったらもう再戦はしてやらんっ!『勝ち逃げ』してやる!イタリアに『勝ち逃げ』という言葉があるのかないのかは分からんが、とにかく私が勝つ!勝って逃げる!!!)
…先ほどよりもゆっくり対戦が進む。
互いに、一手一手慎重に置き始めたのだ。
(…あ!こ…コイツさっきと戦法を変えてきやがったな!長考も目立つし、勝ちにきてやがる!…しかし負けん!絶対に負けてやらん!…そうきたか!ならばここはどうだぁあぁあああ!!!)
―― そして ――
対戦結果の画面に映し出された文字は…『引き分け』。
文字どおり、『白黒』はっきりさせやすいのがオセロの特徴だ。
が、しかし一進一退の攻防が続くと、ごく稀に引き分けという結果も発生する。
「…………………………」
「…………………………」
「…………………奇跡だ」
対人戦で二回連続引き分けなど、考えられないことであった。
互いに死力を尽くして臨んだ勝負であっただけに、私はしばし呆然と画面を見続けることしかできなかった。そしてそれは相手も同じなのか、すぐには再戦の申込みもなければ、別の対戦相手を探しにいく様子もない。
…数分後、画面に再戦を申し込まれた旨を報せるボタンが表示される。
(…やっぱり、白黒はっきりさせないといけないよなぁ。…なぁ、アンタはオセロが好きかい?初めて会って、私が「毎日やっているゲームはオセロだ」と言ったら、笑顔で応えてくれるかい?)
流行の新型ゲーム機でも再現できない、プライスレスな一局が始まった…。
2006年12月19日 23:32 クリスマス前 2006
今年の冬は例年よりも若干暖かく感じるが、やはり寒いのは寒い。
重く分厚い鎧のようなコートに加え、最近巷で蔓延しているウィルスを恐れて着用しているマスクも、今年は防寒具のひとつとなっている。
(…ああ、もうすぐ『クリスマス』かぁ…)
…などと、しみじみ思うまでもなく、街中はもうどこへ行っても目に耳にクリスマスがとび込んでくる。
(…そういえば、『ハメ太郎』がウチにきて、もう4年にもなるんだなぁ…)
4年前のクリスマス。6年間の小学校勤務を終えたハメ太郎は、快適な余生を過ごすべく、教頭先生に連れられて我が家へとやってきたのだ。……手押し車に乗って。
「………………っ」
初めてハメ太郎と出会ったときのことを思い出し、私は街中で突然笑いだしそうになったが、すぐそのあとに起こったとても悲惨な記憶も一緒に甦ってきたので、表情はすぐに元へ戻った。
「…………黒霜…」
12月25日の『"Merry Christmas" and the beast said.』に続く
2006年12月20日 03:18 詩的自慰 2006
…私は今、非常に困っている。
なぜならば、私は今まさに『死の瞬間』を迎えようとしているからだ。
私は少々大きめな『ウシガエル』なのだが、それだけに機敏さには大きく欠け、先ほど林から迫り来た一匹の『ヘビ』から逃げおおせることができなかったのだ…。
…私の丸々とした体は、すでにお尻から半分がヘビの口の中へと埋まっている。
非常に残念なことだが、この状況下ではどうにもこうにも助からない…。
「ゲェコッ!ゲェコッ!」と、必死に悲鳴をあげたところで、もちろん助けなど来はしない。短い短い人生の終わりである…。
(…ああもう一度、目の前に広がる故郷の『水田』で泳ぎたかった…。もう少しだったのに、悔しいなぁ、悲しいなぁ…)
そんなこんなで、私は己の命の灯火が消えゆく瞬間を、じっと待っているのだ。
…奇跡は不意に訪れた
この生命の危機に、背中から多量に分泌されていた『ガマの油』によって、私の体はそれまで懸命に食らいついていたヘビの口からすっぽりと抜け出たのである!なんという幸運、なんという奇跡!私はヘビの口から抜け出た勢いそのままに、一気に水田へとジャンプした!
―― グッシャァア ――
(…な、何が起こったのだ…?今まさに奇跡を手にしたこの私の身に、一体何が…)
薄れゆく意識の中で、私は「えんがちょ〜」という謎の言葉を耳にした…。
…カエルに耳はない。
2006年12月21日 02:35 『モスーガ』との戦い −前編− 2006
…思えば、私の人生は激しい戦の連続だった。
そしてその戦で傷つくたび、私は強くなった…。
男であるからには決して避けては通れぬ道。戦道。
いかに敵が強大であろうとも、たとえそれが未確認生命体であろうとも、決して逃げてはいけないのだ…。
…それは、昨夜の出来事だった。
午後9時30分。いつものように仕事を終え、事務所の戸締りをした私は、ビルの階段を下り始めた(事務所はビルの三階だが、エレベーターは無い)。
…毎度のことながら、この階段は不気味だ。
薄暗いし、じめじめとした湿気を帯びているし、なんといっても虫の多さが気持ち悪い…。
ビルの手前が大きな公園であるため、この界隈は特に虫が多かった。
(…さっさと帰ろう…)
私は急いで一階分の階段を駆け下りると、続いて勢いよくもう一階分を下りようと手すりに手をかけた。
…が、ここで私の足が止まった。
(……何かが、いる!)
階下の小さな踊り場で、何かが動いたのだ。
だが、暗すぎてそれが何であるかまでは識別できない。
(…何だ?ゴキブリか…?)
私は思わず身構えたが、踊り場に再びの動きはない。
(…気のせいか?)
私はおそるおそる階段に足を踏み出すと、一歩また一歩と慎重に暗がりへと下りていった。
その時
突然踊り場から巨大な黒い影が私に向かって飛んできた!
「うわぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ嗚呼嗚呼あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
私はわけも分からないまま、とにかく急いで階段を駆け上がり、事務所へと逃げ込んだ。
(……何だ?何だあれはっ!?襲ってきたぞ!)
高鳴る鼓動。乱れる呼吸。
私はそれらを必死に抑えつつ、冷静さを取り戻そうと事務所のソファーに腰をかけた。
(……ゴキブリじゃない。あの影…ゴキブリにしては大きすぎだ。…もしかして、スズメが迷い込んだのか…?…どちらにせよ、突破しない限りは家に帰れないのだから、なんとかしなければ…)
徐々に落ち着きを取り戻した私は、事務所内を見渡し、なにか『護身用』の『武器』になりそうな物を探した。
…『ゴルフクラブ』(ドライバー)があった。
(…これだ!)
私はゴルフクラブを手に取ると、再び薄暗い階段をゆっくりと下り始めた。
(!!!!!!!!!!!!)
意外にも、敵はすぐにその姿を見せた。
先ほどの踊り場で、グルグルと空中を旋回していたのである。
(…あれは…『蛾』…か?)
それは、今まで見たこともないほどに巨大で不気味な蛾であった。
(…で、デカイ!10センチ以上はゆうにある。…あれは、普通の蛾じゃない…『モスーガ』だ!世界の蛾が世に憂いを感じ始めた時、宇宙より飛来すると言われている『モスーガ』だ!)
私は息を呑み、持っていたゴルフクラブを再び強く握り締めた。
--- 続く ---
2006年12月22日 10:07 『モスーガ』との戦い −後編− 2006
思いもよらぬ、突然の『モスーガ』来襲。
(…バカみたいにぐるぐると空中を旋回しやがって…今に見てろ!)
私はモスーガに存在を覚られぬよう息を殺し、威嚇攻撃の機会をうかがった。
(…『奴』の旋回パターンは一定で、速度も遅い。なにより標的が大きくて狙いやすい…が、この狭い階段では武器であるゴルフクラブを自由に振り回すことができない。…ここは、『突く』しかない!)
私はゴルフクラブを、まるでビリヤードのキューのように構えると、一歩一歩モスーガとの間合いを詰めてゆく。
…モスーガの行動に、変化はない。
(…あと2メートル………1メートル………あと…半歩………)
「……う…うぉぉおおおおおおお『覇極流・千峰塵』!!!!」

謎の奇声と共に、激しい突きを連続して繰り出す私。
…しかし、モスーガには全く当たらない。全ての突きを、まるで風に舞う木の葉の如くひらリひらりとかわしてゆく。
「くそ!お前は『ナジーム・ハメド』か!」
私はだんだん腹がたってきて、もう間合いなどお構いなしでモスーガに接近すると、がむしゃらにゴルフクラブを振り回した。
「…この!このこのっ!!!当たれっ!避けるな!こら!モスーガ!コラッ!…って、う、うわぁあああぁああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!」
突然モスーガがこちらに向かって飛んできたので、私は驚いて思わず後ずさりをしたが、うしろは階段(上向き)である。当然段差につまずくと、尻を階段で強打する。
「ぐああああああああぁぁぁぁああああああっ!痛ってぇえええええぇえええええっ!!!!!!」
私は叫びながら尻を押さえると、ヨロヨロと階段を駆け上がり、再び事務所へと逃げ込んだ。
(…『覇極流・千峰塵』とか言ってしまった…成人なのに!!!!階段につまずいて、尻を強打してしまった…成人なのに!!!!……恥ずかしい!!!!!それもこれも、全部『奴』のせいだ!!!!!!もう許さん!!!!!絶っ対に許さんっ!!!!!!やってやる!やってやるぞ!!!!!!)
…もう、私から冷静さは完全に失われていた。
より強力で、より有効な武器を探すことのみを考え、私は事務所内を荒らしまわった。
「これだぁああああああああああっ!!!!」
私は透明なビニール傘を事務所の隅から拾い上げると、まるで正義のヒーローになりきった子供のようにそれを天高くかかげると、最後の聖戦に臨んだ。
「ぅぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!」
凄まじい勢いで階段を駆け下りた私は、眼前にモスーガの姿を捉えると、そこに向かってビニール傘を開き、そのまま強引に突撃した!
モスーガも、さすがにこれはかわすことができず、「べチッ」という嫌な音がした。
…が、私の勢いはなおも止まらず、奇声を発したまま一気に階段を駆け下りたのだった。
「…ハァ…ハァ…ハァ…ハァ…ハァ…やった…下りきったぞ…下りきったぞおおおおお!!!!」
眩しいほどの月明かり下、開いた状態の傘を片手に雄叫びをあげる私。…それを、複雑な表情でチラ見する通行人。
…戦いは終わった。
その後、傘や階段(これは翌日)を調べてみたが、モスーガの亡骸はついに見つからなかった。
どこかへ逃げ果せたのか、それとも………。
(…『奴』とは、いつか再び相まみえることだろう。…いや、『奴』以外にも、きっとこの先、私は多くの敵と遭遇するはずだ。…しかし私は逃げん!絶対に逃げん!!!いつなんどき、誰の挑戦でも受けてやる!!!!!)
2006年12月23日 03:52 オセロ大会 −前編− 2006
ある朝、いつものように新聞を読もうと手にすると、間に挟まれていた折り込みチラシが何枚か床に落ちた。
(………ん?)
私は拾い上げたチラシの一枚に目をとめた。
どこにでもあるデパートのチラシ。だが、その中に記載されていた『オセロ大会開催』という文言が、私の興味を強く引いたのだ。
(…ぬなっ!お、『オセロ大会』とな!?このご時世に!?…し、しかも優勝者には賞品が!?……………こりゃあ、出場するしかないじゃないか!!!!!)
―― 2週間後の日曜日 ――
大会当日。…仕上がりは万全だった。
チラシを見た日から今日まで積み重ねてきた秘密特訓により、私はより完全なオセロ思考を手に入れていたのだ。
(…今日なら、『プロ』にも勝てる気がする…)
私はデパートの催し物会場へと急いだ。
催し物会場では、既に何組かの親子連れや若者が集まっていた。
(…参加者は全部で何人くらいなんだろう…?オセロは誰でもルールを知ってるし、気軽にできるから参加者が多そうだな…。一体何回勝てば優勝できるのか…)
受付に向かう。
「…オセロ大会に出場しますっ!!!」
受付の女性は、ヤル気みなぎる私の顔を見て、少し困惑気味に答えた。
「…あ、あの…お客様。こちらのオセロ大会は年齢制限等はないんですが…あの…今回参加者が『小学生』のお子様や『中学生』のお子様ばかりなので…あの…」
「出場しますっ!!!!」
今日この日、私は目の輝きだけは、小中学生にも負けていなかったはずだ。
そしてなにより、強固過ぎるほどの強い意思と、オセロへの情熱は、大会参加者の中でも群を抜いていたはずだ。
「…あ、あの…お客様?その…優勝賞品もですね、お子様向けの玩具などでして…」
「出場しますっ!!!!」
--- 続く ---
2006年12月24日 02:13 オセロ大会 −後編− 2006
優勝商品である玩具欲しさに続々と参加申請をする子供たちに混ざって、ただ純粋に、ただひたすらに『オセロ』を楽しむためやってきた大人が一人。
「子供ばかりだから」と制止する受付嬢の忠告を無視し、子供たちの保護者から注がれる冷ややかな視線も無視し、その大人はただひたすらに、試合に向けての集中力を研ぎ澄ませていた。
…しばらくすると、会場である若干ショボめの舞台に、先ほど受付をしていた女性がマイクを持って現れた。
「…ハ〜イ、皆さん。本日はようこそお越し下さいました!これよりお待ちかね、『オセロ大会』のほう開催させていただきま〜す♪」
…反響はない。会場はただ幼児や小学生の勝手な喋り声が聞こえるだけである。
「…ハイ!それではですね、さっそくオセロ大会のほうを進めていきたいと思うんで・す・が、先にですね〜、ここで大会のルールのほうをご説明させていただきます☆」
…反響はない。会場はただ幼児や小学生の勝手な喋り声が聞こえるだけである。
「…今回の大会は勝ち抜きのトーナメント方式で対戦していただきます。万が一引き分けになった場合は、その場でジャンケンをして、勝敗を決めていただきます。負けちゃった『お友達』はゴメンなさい、そこで失格となってしまいま〜す。でもネ、参加賞もありますので、負けちゃっても気を落とさず、最後まで残った『お友達』を応援してあげて下さいね★それともうひとつ、対戦するときは、勝っても負けても必ず『お願いします』と『ありがとうございました』を言いましょうね!」
…反響はない。会場はただ幼児や小学生の勝手な喋り声が聞こえるだけである。
「…ハイ!ではさっそく一回戦を始めま〜す!」
会場には大きな長テーブルが運ばれ、その上にオセロ盤が全4つ用意された。どうやら同時に4戦ずつ行われるようだった。
「…ハ〜イ、では名前を呼ばれた『お友達』は、席について『お願いします』をしたあと、ジャンケンで先攻後攻を決めて下さ〜い!」
…私の名前は呼ばれなかった。どうやら、出番は2巡目のようだった。
席についた途端、無口になって黙々と対戦を行っていく子供たち。…と、ここで私の目に、一人の人物がとまった。
(…あれは、審判か?)
対戦する子供たちの周りをゆっくりと見回るスーツ姿の男性。
どうやら、対戦中の不正や問題を監視するためにいるようだった。
―― そして ――
「…ハイッ、今最初の1回戦が終了しました〜。残念ながら負けてしまった『お友達』は、あちらで参加賞を貰って下さいね〜♪」
続いて1回戦2巡目の組み合わせが発表されたが、私の名前は呼ばれず、続く3巡目、最後の4巡目も、私はなぜか名前を呼ばれなかった。
(………あれ????)
会場は早くも2回戦の準備に入っているのに、名前を呼ばれていない私。
参加申請は確かにしたのに、参加者の中に入れてもらえなかった私。
(…イジメヨクナイ。無視ヨクナイ…)
泣きたくなるほどの疎外感と、憤り。
そんな中、突如司会者の女性から発せられた言葉に、私は愕然とした。
「…ハイ!ではここでですね、『特別勝負』として、今審判として皆さんの勝負を見ていただいている『先生』とですね、『大人』の参加者との対戦を『お手本』として『皆さん』に『見て』いただきましょう!!!」
(…………………)
「では『挑戦者』の原西さん!こちらへどうぞ☆」
(…………………)
「…さあ、『先生』のほうも準備はいいでしょうか?皆さんも『お近く』でご覧ください〜い♪」
(…………………)
(…………………)
(…………………)
…10分後、予想外の大敗を喫し呆然とする『先生』を見て、同じく呆然とする司会者。
記念品の商品券(¥500×2)を手に、私はざわめく会場をあとにした…。
…………………
…………………
…………………
…………………
…………………
…………………
…………………
…………………
……という夢を見た。
…ということにしておく。
2006年12月25日 02:18 "Merry Christmas!" and the beast said. EP1 2002
それは、2002年も終わりに近づいた、クリスマスイブの夜だった。
…暖房費節約のため、毛布に包まり、ゴールデンタイムのNHK放送を楽しんでいた私を、珍しく携帯電話が呼びかける。
…だが、呼びかけには応じない。
今思い出しただけでも、暖かい毛布王国から出国させるのはとても寒そうで、かわいい私が哀れなので、応じてやらない。
…が、それは歴史改ざんにあたり、『ハメ太郎』の存在そのものが消えてしまうので、泣く泣く当時の私を電話に出させることにする。
…甚だ迷惑な時間、唐突に電話をかけてきたのは、小学校時代の恩師であった。
「…あぁ、こんな時間にすまんな。今…電話は大丈夫か?」
社交的な気遣いをする恩師に、私は「この行から上を読んでくれ」と説明すると、恩師はすぐに提示した部分を解読し、こちらの状況を把握した。
「…そうか。実はお前に『また』頼みがあるんだが…」
私はそれを聞くなり、電話の向こうの恩師にまで聴こえるように鼻で大きく溜め息をつくと、とりあえず頼みの詳細を話すよう促した。
「…じつはな、お前に『ウサギ』を一匹もらってほしいんだ…」
「すみません。お断りします」
…そりゃそうだ。どこの世界に、いきなり「動物をもらってくれ」と言われて、「ハイ、喜んで!」と応える奴がいるのだ。私は居酒屋の店員でもなければ、ムツゴロウでもないのだ。
「…そこをなんとか!頼む」
「無理ですよ。すみません。動物とかほんとに今まで一度も飼ったことないですし、今後も飼うつもりはないですから」
…電話の向こうから、恩師の深い溜め息が聞こえる。
おそらく、私以外の人間にも散々頼み込んだが、ことごとく断られたのだろう。
心なしか声にも元気がない。
「…でも、なんでまた先生がウサギの飼い主なんかさがしてるんですか?学校で飼ってたウサギが子でも産んだんですか?」
「………あ〜〜…いや…その…実は今、学校で飼ってるやつなんだ…」
「…え?大人のウサギですか?」
「…ああ。教室で飼ってた6年生のクラスが今度卒業してしまうんでな…」
「へ〜。教室でウサギを?それで一年も生きるなんて、大したもんですね」
「………6年」
「…え?」
「…6年…生きとる…」
「……………………」
「……………………」
「………教室で?」
「………ああ。教室で6年。今度卒業する学年が1年生の時に飼い始めたんだが…ほら、生命についてとか…動物からはいろんなことが学べるだろう?それで…」
「…なるほど。死んだらクラスみんなで悲しもうってやつですか」
「…まあ、そう悪く捉えるな。でもな…」
「…肝心のウサギは6年間、死ななかった…と」
「…ああ」
にわかには信じ難い話だったが、恩師は嘘をついてでも人にものを頼むような人では決してなかったので、私は信じるよりほかはなかった。
…が、それでもその時の私は、多少の興味こそ抱きつつも、飼おうとまでは思わなかった。
「…でも、6年間も飼ってたんなら、生徒の中から一人くらいは飼いたいって名乗り出る子がいたんじゃないですか?」
「……………………」
「…いなかったんですか?一人も?」
「………ああ」
「…もしかして…かわいくないんですか…?そのウサギ…」
「……いや、そういうわけでもないと思うが…『ちょっと』大きくてな。それと…少し乱暴なんだ…」
「…ウサギが?」
「………ああ。大きさも…実は『ちょっと』どころではないかもしれん…」
…気付けば、私は恩師が話すその『奇妙なウサギ』に夢中となっていた。
恩師も、私なら少なからずこの話に興味を抱くであろうことを分かっていたのか、その後もウサギについて様々なことを語り、最後にこう締めくくった。
「…まあ、どうしても飼えんと言うなら、それは仕方ない。でもそういう変わったウサギなら、一度くらいは見てみたいだろ?よかったら明日の仕事帰りに、学校の職員室までおいで。久しぶりに顔も見たいし、そのウサギ、今は職員室にいるから見せてやるぞ」
「…明日はクリスマスですよ?」
「…なにか予定あるのか?」
「………もし行く場合は、またこちらから電話します」
…その電話のあとも、翌日の朝になっても、私はそのウサギのことが気になって、頭から離れなかった。
そんな出勤途中、いつも通り過ぎている大きな書店の前で、私の足が止まった。
興味があるなら、とりあえず調べればいい。
私はペット関連の書籍が集められたコーナーでウサギの本を探した。
ほとんどが犬や猫に関する書籍が占めているペットのコーナーの中から、ようやく一冊だけ、ウサギの生態や飼育法について書かれた本を見つけると、私はウサギを飼う気もないのに、一冊1,200円もするその本を買ってしまった。
…昼食もとらず、私は職場で黙々とウサギに関する本を読み、ウサギについて知った。
中でも特に驚かされたのは、一般的に噂されている『ほうっておくと淋しさで死ぬ』という説が全くの間違いで、逆にウサギは構いすぎるとストレスで死んでしまうということであった。
(…先生が言ってたウサギ、6年間も人の目に晒され続けてきたのか…。本来休むはずの日中(ウサギは夜行性)も常に誰かからちょっかいを出されただろうし、よく今まで生きてこれたな…。しかもウサギの寿命は平均で5年って書いてあるのに…)
複雑な想いがもやもやと頭に留まり、私の胸を締めつけた。
(…イカンイカン!今日はクリスマスなのに、一人で湿っぽくなっていてはイカン!)
私は携帯電話を手に取ると、当時付き合っていた彼女にメールを送った。
―― 今日、仕事帰りに会えない?二人へのクリスマスプレゼント渡したいから ――
…返事はすぐだった。
―― ごめん。今日は息子とお祝いする約束してるから早く帰る。プレゼントありがとう。また明日時間作るから、その時に私もプレゼント渡すね ――
…当時、私のそばには『黒霜の魔女』と呼ばれる美しい女性がいた。
彼女は早くに主人を病気で亡くし、一人息子を女手ひとつで育てていた。そんな彼女と私は、ある機会をきっかけに親しくなり、息子も交えた3人で親密な関係を築こうとしていた。
夕方。
その日彼女とは会えそうもなかったので、私は帰り支度を済ませると、事務所をあとにした。
…と、ちょうど事務所を出たあたりで、私の携帯電話に彼女の息子から電話がかかってきた。
「お兄ちゃん!今日来れないの?せっかくクリスマスだし、一緒に遊べると思ってたのに…」
「…ああ。今日はお母さんと二人でクリスマスのお祝いするんだろ?また今度、一緒にどこか遊びに行こう。…そうだ、クリスマスプレゼント。ちゃんと用意してるからな。明日、お母さんに渡しておく」
「ありがとう!お兄ちゃんも一緒にお祝いできたらいいのに…。お母さん、今日は仕事で遅くなるって言ってたからなぁ…」
「………………きっと、ケーキとか色々買うものがあるからだよ。それで…遅くなるんだよ」
彼女の息子との電話後、私は携帯電話をしまわず、そのまますぐに恩師へと電話をかけた。
「…もしもし。…あぁ、俺です。今日、やっぱり行きます…」
なにかひとつでも、私は複雑な『なにか』を取り払いたかった…。
--- 続く ---
2006年12月26日 09:37 "Merry Christmas!" and the beast said. EP2 2002
…十数年ぶりに訪ねた母校の懐かしいにおい。
通っていた頃は夜の学校など、畏怖の対象にしかならなかったが、もののけの類についての結論を自然に悟れる年齢ともなると、感慨以外のものは湧かなくなるものだ。
「…ああ!仕事帰りにわざわざすまんな。さ、こっちだ…」
教頭という役職であるにもかかわらず、一人職員室で事務仕事をしていた恩師が、優しく私を迎えてくれる。
「…今日はお一人なんですか?」
「…まぁなぁ。さっきまで何人かはいたが…まあ、小さい学校だからな。…ちょっとそこに座って待ってなさい。今、ウサギを連れてくる」
恩師に職員室の応接用ソファへと案内された私は、噂の『巨大ウサギ』とやらの登場を待った。
「………………………」
「………………………」
「………………………」
「……………………?」
…ウサギを探しに行った恩師が、なかなか戻ってこない。
「………先生?」
…返事はない。どうやら職員室の外まで出て行ってしまっているようだった。
私はソファから立ち上がると、職員室を出て恩師の姿を捜した。
「…先生!」
「…………ぉぉ」
…微かだが、階下のほうから声が返ってきた。
私は近くの階段を下り、声のほうへと向かった。
(…小学校の階段って、こんなにも段差が低かったんだな…気付かなかった)
懐かしさの混じった不思議と温かい気持ちが、私を包んだ。
「…先生。何やってるんですか!?」
「…いや〜、スマン。さっきまでここで寝てたんだが、どこかへ移動したみたいだ…」
「そのウサギ、この1階のどこかにいるんですか?なら僕、捜してきますよ!」
「…ああ。でも『気をつけろよ』。もし気が立ってたら、『朽木倒し』をされるぞ!」
「く、『朽木倒し』!?ウサギが!?」
…想像以上に凶暴そうなウサギを捕獲するため、私は軽く屈伸とシャドーボクシングを行ってから母校の薄暗い廊下を慎重に歩き始めた。
(…………………)
(……………ん?向こうの暗がりにあるものは…何だ?…段ボール箱か?)
ちょうど廊下のつきあたりに、大きな茶色の物体があった。
私はそれを大きな段ボール箱と判断すると、もしかするとその中にウサギが入っているかもしれないと考え、歩み寄った。
…と、突然段ボール箱と思っていた大きな物体が動きだし、凄まじい勢いでこちらに向かって突進してきた。
「うわぁあっ!?」
数メートルはあった距離を一瞬でゼロにした謎の大型高速移動物体は、私のちょうど足元でぴたりと止まると、頭を上げてこちらを睨みつけた。
(…で、デカイ!ゆうに50センチ以上はある。これが…先生の言っていたウサギ…か?)
一見、犬かと思ってしまうほど巨大なその耳の垂れたウサギは、こちらをじっと見据えたまま微動だにしない。
「…あぁ、いたか!そいつだ。そいつが言ってた例のウサギだよ。…どれどれ…」
後から遅れてやってきた恩師は、慣れた手つきでウサギを私の足元から引き離すと、持っていたリード付きの胴輪をウサギに装着し、引きずるようにして職員室へと連れて行った。
…ようやく落ち着いて職員室のソファに腰を下ろすことができた私は、まるですねた子供のように地面で転がる倣岸不遜な巨大ウサギの姿を、改めて目の当たりにした。
「………6年でよくこんなにも大きくなりましたね。一体何を食べさせて育てたんですか…?」
私の問いに、恩師は『ちがうちがう』と手を横に振って応えた。
「…このウサギなぁ、実はいつどこで生まれたのかは分からんのだ…。元々は『野良』だったみたいでな。…多分、生まれてすぐに捨てられたんだろうなぁ。…学校に引き取られる前は畑の野菜とかを盗み食いして生き延びてたみたいなんだ…。けどちょうど6年前にケガをしてるところを畑の人に捕まってな。…ほら、学校のすぐ裏の。最初はなんの動物か分からなかったそうだが、獣医に診せたら海外産のウサギだと判明してな。…それで小学校のウサギ小屋で引き取ってもらえないかと相談されたんだ…」
「…ウサギのわりには、随分と苦労してますね…」
恩師の話は、時を隔てても尚変わりなく、分かりづらいままだった。
2006年12月27日 01:33 "Merry Christmas!" and the beast said. EP3 2002
「――で…、どうだ?飼ってやれそうか?」
転がるのに飽きて眠りだしたウサギと私を交互に見ながら、恩師は最後の決断を迫ってきた。
…クリスマスの夜を、母校の小学校で恩師とウサギとで過ごす。…異常にもほどがある夜だった。
「…駅前のペットショップ、この時間ならまだ開いてますよね?飼うにしたって、まだエサも何もない状態ですから、とりあえずそこへ行きましょう」
恩師の顔がみるみる明るくなった。
何度も何度も一人で嬉しそうに頷いたあと、恩師は急に立ち上がり、私に職員用駐車場へ行くよう促した。
…クリスマスの夜に、小学校時代の恩師とドライブをしながら、向かった先はペットショップ。
私はそこで、大型犬用の檻(ウサギ用のケージでは入らないため)と、当面のエサ、その他様々なウサギ飼育用品を買い揃えると、再び学校へと戻り、恩師は買って物を載せて車で私の家へ。私は巨大ウサギを自宅まで徒歩で輸送することにした。
…が、当のウサギがなかなか動かない。
外に出た途端、地面に寝転がってしまい、いくら強くリードを引っ張っても、ピクリとも動こうとしないのだ。
(…もしかして、学校から離れたくないのか…?)
子供たちのオモチャにされるとはいえ、6年間も過ごした場所なのだ。慣れ親しんだ地を離れるのは、ウサギといえども考えるところがあるのかもしれない。
…私は暫し転がるウサギを眺めながら、このウサギを飼うことの難しさを考えていた。
(………あ、動かなくなった…。やっぱり行きたくないのか?………ん、こいつ…寝てやがる。もしかして、動かないのは歩いて行くのがめんどくさいだけなのでは……)
私は持っていたウサギのリードを近くのフェンスに括り付けると、学校裏のミニ農園へと向かった。
そこへ行けば、作業用の一輪手押し車(通称『ねこぐるま』)があることを、私は知っていたのだ。
「…おい、デカウサギ!起きろ!…さあ、コレに乗れ!」
私は半ば強引にウサギを手押し車に乗せると、自宅へ向けて勢い良く発進した。
「…おい!手押し車に乗ってすぐ寝るな!…ホラ、学校。もう見ることはないだろうから、最後にしっかりと見ておけ。お前は今日から私の家で隠居するんだぞ。光栄に思え!そしてせっかく大金を使ってお前の家や食事を買ったんだ。少なくともあと10年は生きろ!生きろよ!」
…2002年のクリスマスの夜。
巨大な茶色いサンタは2本足のトナカイが運ぶソリに乗って、長い長い流浪の終着点へと到着した。
「…あぁ!そうだ。名前!そういえば、このウサギの名前を言ってなかったな!」
自宅前で待っていた恩師が、私とウサギを迎えるなり、唐突にきりだした。
「…名前は教えてもらわなくていいですよ。これから全く新しい人生を送るんだし、僕が新しい名前を与えます。………そうだな…『ハメ太郎』!『ハメ太郎』にします!…うん。いい名前だ!」
恩師の顔が一瞬曇ったが、私が一度言い出すと二度と曲げない人間だということを思い出したのか、それ以上は何も言わなかった。
「…いいか『ハメ太郎』!お前は私が必ず幸福な老衰に導いてやる!…だから『ハメ太郎』!その間に、もしも私が…私の心が砕かれるようなことがあったら…お前が私を助けてくれ!ギブ&テイクだ!分かったか!?…寝るな!おい、起きろ!分かったな!?」
ハメ太郎は大きな欠伸をしたあと、こう言った。
「Merry Christmas」
2006年12月28日 16:50 尻 2006
…年末にもほどがある12月28日。
なぜか毎年12月のみ忙しい私は、夜を徹して仕事を進めていた。
(…周囲はもう正月休みに入る頃だというのに、なんで私は毎日毎日イスに座ってパソコンにメンチをきり続けなければならないんだ…あぁ、尻がかゆい)
…作業の合間に、尻を掻く。
(…あぁ。『アレ』だな。…そう『アレ』だよ。首相。首相のせいだよ。この忙しさは…あぁ、尻がかゆい)
…作業の合間に、尻を掻く。
(…………んん?)
…作業の手を止め、もう一度尻を掻く。
(………アラ!?いくら尻を掻いても、『尻に感覚がない』…)
私は思わず席を立ち、今度は両手を後ろに回して自分の尻をわしづかみにすると、つねるように揉んだ。
(……アラヤダ!本当に尻に感覚がない…)
私は少々焦って、おもむろに穿いていたズボンを下着ごと下ろすと、あらわになった尻を自分で何度も何度も叩いてみた。
(………まったく痛くない…)
長時間(40時間くらい)、座りっぱなしの状態で仕事をしていた影響だろうか。私の尻は、完全に感覚を失ってしまっていた…。
(…ダメだ。今日は帰って寝よう…)
私はすぐに作業を中断すると、手早く帰り支度を済ませて家路についた。
…帰宅後、突然の尻の不調に意気消沈する私を無愛想に迎えてくれたのは、私よりも尻が大きい『ハメ太郎』だった。
「……ハメ。尻が…尻の神経が…」
そう漏らしてもハメ太郎が無視するのは分かっていたが、漏らさずにはいられなかった。
「………そうだ!おい、ハメ!お前ちょっと『尻を噛んでくれないか?』頼むよ!なあ?噛んでくれよ!ハメ、尻を噛んでくれよ!!!」
帰った早々、穿いていた全ての物を脱ぎ捨て、ウサギの顔に尻を擦り付ける男。
年末。世の人々は旧年を惜しみつつも、新年への希望に胸躍らせるというその年末に、「噛んで!引っ掻いてもいいよ!でも…とにかく噛んで!」と、ウサギに尻を擦り付ける男が、宇宙に一人。…たった、一人。
―― ガリッ! ――
「ぎぃぃぃいやあああぁああああああああぁぁぁぁああああああっツ!!!!!!!」
2006年12月29日 23:26 仁王立ち 2006
―― カタカタカタカタカタカタカタタカタカタカタカタカタカタカタガタガタガタガタガタガタガタガタガチャガチャガチャガチャガチャガチャン!バシンッ! ――
「チクショウ!!!!あのアホウサギ!!!!!飼い主様の高貴なお尻に噛みつきおって!!!!犬でも噛みつくのはまあせいぜい手だというのに、こともあろうか『尻』に噛みつくとはなっ!!!!!…まったく、恩義というものを感じないド畜生だよあいつは!!!!!」
仁王立ちの状態で、それでも職場のパソコンに向かって作業を行う健気な私は、獣にかじられた尻の痛みに耐えながらも、早朝から必死にキーボードを叩き続けていた。
…年内に残された作業時間は今日を除いてあと2日。
睡眠時間を極限まで削ったとしても、1月1日の提出日まではギリギリ間に合うか否かの綱渡り。
(…もっと速く!もっともっと速くキーを打ち込むのだ!!!もっと…もっと速く!しんかんせんよりも、じゃんぼじぇっときよりも、すぺーすしゃとるよりも速く!光速をも遥かに超えたタイピングで打つのだ!!!)
―― トゥルルルルル トゥルルルルル ――
明日に向かってキーボードを打ち続ける私の耳に、珍しく会社の電話機の音が割り込んでくる。
「…あぁああもう!この忙しい時に!!!モシモシぃ!?誰だぁ?………………ぁ、専務?ハイ…ハイ…ハイ。ェェ…ハイ。『えっ!』………ハイ。エエ…デモ…エ?ぁ、ハイ…ワカリマシタ…シツレイシマス……」
…12月29日の夕方に、私は会社の本社から年賀状500枚の年内作成を言い渡された。
壁掛け時計の針の舌打ち音が、やけに大きく聴こえた…。
2006年12月30日 04:44 許せ、セリヌンティウス… 2006
―― カタカタカタカタカタカタカタタカタカタカタカタカタカタカタガタガタガタガタガタガタガタガタガチャガチャガチャガチャガチャガチャン!バシンッ! ――
…キーボードが唸る。
「うぅうううぉおおおおぁああああああああああああああぁぁぁあああああああああっ!!!!」
…私も唸る。
12月30日という、暮も差し迫り過ぎている日に、まさかの年賀状大量発注。
それでなくとも、他の仕事でもう手一杯であったというのに、そこへまさかの年賀状。
これは、『走れメロス』で言うと、期限の3日目なのにまだ妹の村にすら着いていない状態である。
(…セリヌンティウス!セリヌンティウスよ!呼び辛い名前のセリヌンティウスよ!私は全く眠らずに3日間走り抜いたが…まだ…まだ妹の村にも着かぬ!着かぬのだ!だが決して私の足が遅いわけではない。道が…道が途中で延びたのだ!!!こう…みょ〜〜んって!!!!)
…陽がもう落ちかけていた。
だが、それでも私は決して諦めず、その無謀な決死行を最後まで遂げるべく、ただひたすらパソコンの画面に向かっていた。
―― トゥルルルルル トゥルルルルル ――
新年の到来を拒むかのようにキーボードを打ち続ける私の耳に、会社の電話機の音が割り込んでくる。
「………モシ……………ェ…ァ…アッ!専務!?ハイ!ハイ!エエ!エエ!…エッ!?年賀状ですか?…………………………………………………………………………………………………………………デキマシタヨ…モウダシマシタ……ハィ…ハィ…アリガトウゴザイマス…ソレデワ……」
12月30日の夕方に、私は本社に嘘の報告を行った。
壁掛け時計の針の舌打ち音が、やけに大きく聴こえた…。
(………許せ、セリヌンティウス…)